Ⅲ. 智慧と法界の覚知
歌番号
仏が遥かな浄土にいるのか、自分の「五尺の身」にいるのかと自問する。 重々無尽(じゅうじゅうむじん): 一つの塵の中に無限の世界が映し込まれており、全てが互いに影響しあっているという華厳の世界観。 「微笑む」という日常的な行為を通して、自己も相手も一瞬にして仏と等しい存在になるという、「悉有仏性」の普遍性を説いています。自己と他者の隔てがなく、全てが仏として相互に敬い合うという理想的な法界の姿を簡潔に表しています。また、この歌は、「微笑む」行為を通して、自分と相手がお互いに仏として敬い合っているという、相互礼拝相互供養の、言葉を超えた深い真実を伝えています。 相互礼拝相互供養(そうごらいはいそうごくよう):「一切衆生悉有仏性」の教えを実践に移したものです。「自己も仏である」「他者も仏である」であるならば、仏と仏が相互に礼拝し、供養し合っているのです。 法話の際にこの歌を引用されることで、聴衆の皆様は「仏様を拝む」という従来の信仰だけでなく、「隣の人も仏様である」という、より身近で実践的な慈悲の心を育むことができるでしょう。 大乗仏教の究極の教理である「一切衆生悉有仏性」「法身説法」を応用し、その結論を「我が身も仏なるかな」と自己の存在に適用しています。詩ではなく宣言に近い調子であり、五部作を通じた求道の旅の到達点を象徴しています。自己の凡夫性を完全に超越し、仏としての自己を確信する歓喜に満ちた歌です。 空しい存在だと思われた自己も、実は仏そのものであると悟り、自己肯定へと至る、シリーズ全体の結論となる一首です。